一家一寺とは、家の家族全員が同じ壇那寺に属する形を言います、丸檀家とも呼ばれます。江戸幕府による宗教政策の寺請制度により確立されました。これに対し家族の中で異なる壇那寺を持つ場合は、一家寺違制と言います、半檀家、複檀家とも呼ばれます。
江戸時代になると惣村制がより確立され、大百姓が没落し、平均的な本百姓の集まりにより惣村が運営される様になります。その為、大百姓の菩提寺であった寺院や道場は地域共同体の母体となる惣村の村惣堂や惣道場へと変化して行きます。
江戸時代初期には、一家の構成員全てが家を単位として一つの寺院の檀家となる、一家一寺制にはなって居りませんでした。家の中で夫と妻が夫々異なる寺院の檀家となる事もまま有る、半檀家状態でした。これが17世紀後半、幕府による寺請制度の推進と、自立した農家の広がりにより一家一寺制が確立しました。これに伴い庶民の間でも家という概念が成立し、祖先崇拝という考えが出来て行きます。一家は菩提寺としての寺院の経済基盤を支え、葬祭、仏事を寺院へ委託していく事に成ります。
それまで 庶民の間では自前のお墓を持つ習慣は有りませんでしたが、寺院と檀家という関係が出来上がると、次第に自前の墓を建てるようになって行きます。これまでは庶民の間では、ご遺体は共同の葬地に置いたり、埋めたりして居りましたが、家と言う考えが確立して行くと共に自家の墓を所有する様に成ります。これらの事から近世の庶民の墓は、家の確立と深く関係し家の象徴、根拠として建てられたもので有る事が解ります。祖先崇拝が象徴的なものではなく、家の先祖という具体的な対象を持つ事が出来る様になると言う事は、それが出来るような庶民(農民)の自立が出来たと言う事でも有ります。
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