「御霊会(ごりょうえ)」とは・・・怨霊を鎮魂させる儀礼です。
平安時代に、怨霊(御霊)[ごりよう]が疫病を頻発させ、死者を多くさせる原因と考えられ、
更に、陰陽師たちの活動もあり、貴族階級の中で怨霊(御霊)[ごりよう]鎮魂が盛んになりました。
10世紀後半になると、災害、疫病の原因は特定の個人の怨霊によるものではなく、漠然とした怨霊のためと理解されるようになりました。その怨霊を街から追い出し、鎮魂するために「怨霊会」が行われ「御霊神社」が建てられるようになりました。その一つが祇園祭(祇園御霊会)で、970年から始まっています。
「伸展葬(しんてんそう)」とは、健在のように、遺体を伸ばした状態で葬る方法を言います。
「屈葬(くつそう)」とは、腕を曲げ、膝を折った状態で葬る方法を言います。
「抱石葬(ほうせきそう)」とは、遺体の上に石を置いた状態で葬る方法を言います。
文献に登場するはるか前の縄文時代の墳墓を発掘すると、「伸展葬」も見られますが、「屈葬」の方がはるかに多く見られます。そして「抱石葬」もありました。こうした方法ががとられたのは、死霊への恐怖が原因だと考えられています。
殯とは、人が亡くなってもすぐに埋葬したりせず、一定期間をかけて死者の鎮魂をする事です。
内容としては、死者に食事を供し、死を嘆き悲しみ、歌い踊って死者の霊を慰める、という儀礼です。
手がかりとして「古事記」(712年)に「天若日子(あめのわかひこ)の葬儀の様子」が書かれています。
これらは、現代のように医師がきちんと死の判定をすることがなかった為、人が死んだと言う事実を納得するには一定の時間がかかりました。その結果、死んだと思ってもすぐに遺体を処理(埋葬)してしまうのではなく、一定期間は「生きているかのように」扱ったのです。
この「殯(もがり)」が、現在で言う「お通夜」の始まりである・・・とも言われております。
「おん あばきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばらはらばりたや うん」で、これを 108 回唱えます。死者の滅罪に力があるとされ、この真言によって加持 (真言を唱えて清めること) された土砂を遺体にかけると仏の光明に包まれ、極楽に往生できると信仰された密教の修法 (修行の方法)です。
罪がなくなると遺体がやわらかくなり、納棺しやすくなるとも信じられたようで、後に民間にも広く伝わりました。
「薄葬令(はくそうれい)」は、大化改新 646年に出されました。
この薄葬令が出されたことにより「厚葬」が廃される決定的な影響を与えた、と言われております。
薄葬令は、「権力者の葬儀に多くの財や労力を費やすことは民衆に過重な負担をかけるので止めよう」という考えから生まれたものですが、身分別の葬制秩序の確立という側面もありました。
「薄葬令」とは、
1.必要以上に大きな墓を作ることは貧窮を招くと警告し
2.死者の身分により墓を作る夫役の延べ人数の上限を定め
3.遺体は一定の墓地に集めて埋葬することとし
4.殯(もがり)や殉死(じゅんし)、宝物を副葬品とすることを禁じる
など旧習俗を否定するものでした。
薄葬政策はその後もとられ、持統天皇、元明天皇は倹約・簡素な葬儀を遺詔(いしょう)[天皇による遺言]し、平安時代にも嵯峨天皇や淳和(じゅんな)天皇などが薄葬を遺詔しています。その結果、巨大墳墓、殯だけでなく誄(しのびごと)[故人の功徳などを讃えること]や挙哀(きよあい)[悲嘆の気持ちを表し、礼拝すること]などが姿を消していくこととなりました。しかし、民衆においては殯や泣き女(雇われて葬儀で泣き、悲嘆をする女性)などによる挙哀などは生き残り続けました。
3世紀頃からは豪族の大きな墳墓(ふんぼ)、古墳(こふん)が作られるようになりました。形から、円墳(えんふん)、方墳(ほうふん)、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)、前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)、上円下方墳(じょうえんかほうふん)、双方中円墳(そうほうちゅうえんふん)などに分類されます。積石塚(つみいしづか)と呼ばれる、墓の上に土の代わりに石を積み上げた高塚もありました。5世紀には応神陵(おうじんりょう)や仁徳陵(にんとくりょう)のような巨大な古墳も作られました。
古墳の中には石室が作られました。遺体は棺に納められ、副葬品が添えてあります。人物や動物をかたちどった埴輪(はにわ)やさまざまな用具が副葬品として納められました。
古墳文化は3世紀から7世紀まで続きます。前期は自然の丘陵(きゅうりょう)や尾根を利用したものが多く、中期では平野部に盛土(もりつち)をし、周囲に濠(ほり)をめぐらした巨大なものが、後期には横穴式石室をもった小さな古墳が作られたのが特徴です。
古墳に代表される手厚く葬った葬法を「厚葬(こうそう)」と言いますが、これは有力者、豪族、天皇家といった人々のものでした。この「厚葬」も儒教文化が伝来すると6世紀頃から次第に少なくなっていきました。
葬儀費用が「電話機ひとつ」でクレジットカードでお支払い (決済) が出来るようになりました。
その場で審査をいたしますので、喪主様がお持ちのプッシュ信号式の電話機
(固定電話・携帯電話・スマートホンなど) があれば、簡単にご利用いただけます。
5大カードの「VISA」「MasterCard」「JCB」「AMEX」「Diners」の国際ブランドのカードが、
喪主様が契約している限度額までご利用いただけます。(審査が完了次第に決済されます)
更に審査が必要となりますが、ご希望の方には限度額を一時的に上げることも可能です。
但し審査には、1週間位かかる可能性がありますので、事前に審査を通しておく必要がございます。
一輪ざし(一本花)とは・・・しきみを一輪 (一本) さす(お供えする) こと。
また、初七日までお供えするのが良いと言われています。
意味として・・・一輪なのは、これでもうお供えしませんよ、又お供え出来ませんよ、と言う意味や
お釈迦様が亡くなった事を知らせる為に、枝を一本もって行った事から始まった。
と、言われています。
しきみを用いるのは、灰になっても香りが残る事や、常緑樹で一年中有る為とか。
昔は、椿の花をさしていた事もあったようです。
由縁として・・花が「ポト」と落ちる事から「これで最後」という意味からのようです。
末期の水とは・・・医師から臨終を宣告されたら立ち会った家族や近親者が、死にゆく人
(亡くなった人)に最後の水を与えること。
また、死んでゆくものに対する、最後のはなむけとして、臨終間際の人の口に
捧げる水を言う。「死水(しにみず)」とも言う。
意味として・・・死に瀕した人の蘇生を願って水を与えた (呪術的儀礼)
残された人々が最後の別れをするための儀式
と、言われている。
葬儀の役割 4.感情の処理 (心理的役割)
人の死は周囲の人に衝撃を与え、さまざまな感情をもたらせます。
その悲しみや心の痛みを癒すことや、死の衝撃を受け入れることには長い時間が必要になります。
この悲しみにある人々の心に寄り添い、慰めることが必要になってきます。
そのさまざまな感情を癒す為の一つとして、葬儀が行われます。